2025年(令和7年)11月6日に太田金山城と足利氏居館(群馬県太田市・栃木県足利市)などを巡るバス見学会を行いました。参加者は30名。「まち歩き」や「街道歩き」の参加者が多いので和気あいあいという感じでした。午前8時に大宮駅西口を出発、最初の見学場所である「金山城ガイダンス施設」には10時前に到着しました。ここは金山城の歴史紹介と来訪者の憩いの場として平成21年5月30日に開館されています。山城の模型や歴史年表など内容は充実しており、施設自体も隈研吾氏による設計で外壁には金山城の石垣をイメージした石板が配置されている立派なものです。

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そこからバスで登山道を登り「金山城跡」に到着。尾根筋に築かれた史跡跡と石垣の間を歩きながら、本丸へ足を運びます。金山城は関東平野に突き出るように存在する独立した金山丘陵に築かれた山城で、国指定史跡及び日本100名城に選定されています。築城は『松陰私語』によれば岩松家純の命により、文明元年(1469年)2月25日に完成とされ、享禄の変1528年に家臣の横瀬氏と争い、横瀬氏が実権を握り戦国大名として全盛を迎えます。このように拡張強化が継続的に行われた歴史があります。特に、関東では珍しい大規模な石積を施した核心部は見どころが多く、城内にある「日ノ池」は冬でも水が枯れることはなく9世紀後半には水に関わる民間信仰があった聖なる池であったようです。上杉謙信・武田勝頼などの有力戦国大名の攻撃にも落城する事がなかった大規模で堅固な城郭のたたずまいに参加者は感激したと思います。

昼食後、「太田天神山古墳」へ。この古墳は東日本では最大、全国でも第28位という巨大な前方後円墳で、国の史跡に指定されています。墳丘長は約210mありますが、全長300メートル以上の古墳は全国でも8つしかなく以下はすべて290メートル以下ですから、この古墳のサイズ感でも古墳の被葬者が上毛野全体の支配を確立した首長と位置づけられていて、その権威の大きさがわかります。見学者はその壮大な墳丘に驚きです。築造は古墳時代中期の5世紀前半から中期頃と推定されています。2重の周濠とされますが(これも珍しい)いまや休耕田のような雰囲気になっていますので、群馬県といわず、関東の誇る文化財として保護してほしいものです。

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最後は、「足利学校」と隣接する「足利氏館跡(鑁阿寺)」です。足利学校は国指定史跡で、創建は古いですが、歴史が明らかになるのは室町時代中期以降で、上杉憲実が関東管領になり学校を整備し書籍を寄進して鎌倉から禅僧「快元」を招き初代校長とし以後代々禅僧が努めました。憲実の子憲忠も貴重な書籍を寄進するなど戦乱の世でも学校の基礎を固め、事実上日本の最高学府となり、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学・・」と海外まで伝えられたことは有名です。「学校」の門をくぐり、教室の内部を見学。そのほかの再建された施設や庭園も立派なものです。

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「足利氏館」は、源姓足利氏2代足利義兼が12世紀末頃築造した館で国指定史跡であす。日本100名城に選定されています。館の規模はやや東西に長い不整方形状のおおむね2町四方と規模の大きな館で、周囲に下幅8~10m、上幅2~2.5m、高さ2~3mの土塁と幅4~5mの濠がめぐり、土塁は設けず、見事な橋と門をが置かれています。建久7年(1196年)館に大日如来を奉納した持仏堂を設け、これが鑁阿寺へと発展、文歴元年(1234年)足利義氏が伽藍を整備し足利氏の氏寺となり現在に至っているようです。本堂は国宝で、経堂・鐘楼等国の重要文化財が多数あり、見ていて飽きません。

ここで見学終了。予定通りの時間に大宮にもどりました。(筑井 記)
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