今年度第一回目のプレミアム講座として、開催中の企画展「名所 大宮 ー鉄道のまち・公園のまちー」(8月31日まで)に関連したお話を聞きました。猛暑の続く毎日で、参加者の集まりが気がかりでしたが、60名の方にご参加いただきました。
 講師は企画展開催にご尽力された当館の特別展示・広報担当の木村遼之学芸員です。ご専門の日本近現代史の視点から地元埼玉の時代状況を掘り下げて研究されています。今回の講座では鉄道の駅と公園の開設という2つの要素に焦点を当てて、明治の新時代以降の大宮のまちの発展を分かり易くお話されました。
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          【講座聴講風景】

 大宮のまちとしての盛衰を世帯数と人口の変化でみると、明治維新による近世諸制度の消滅などのネガティブな要因により、明治12年頃までは人口減が続いたようです。日本鉄道第一区線(高崎線)の初期の計画には大宮宿付近に駅をつくる案があったが、明治16年の第一区線上野・熊谷間仮営業開始時には大宮に駅が作られなかった。しかし第二区線(宇都宮線)の建設に際して第一区線からの分岐を考える段階で大宮を適地とする方針が定まり、明治18年(1885年)に大宮駅が開業した。その後の鉄道利用の活性化につながる複線化や電化、技術拠点ともなる鉄道工場や操車場の開設・整備などが続く。大宮の鉄道工場では日本初の電気機関車の製造もできたそうで、技術面でも近代日本の進化に貢献した。
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          【開催中の企画展のポスター】

 明治新政府の太政官布達に沿った公園開設も大きなポイントです。氷川公園(大宮公園)が明治18年(1885年)に開園した。当初は氷川神社の奥山を利用してアカマツを主とした樹木群に料亭・旅館をを配した景観で、正岡子規などの文人も足を運んだことが知られているように、東京からの集客を狙っています。さらに大正期以降も本多清六らによる拡張整備が加えられて、”帝都郊外の理想郷”という謳い文句があったように、「名所 大宮」の側面を大宮に付け加えて町の活性化を促進した。

 最後に現在の博物館の建つ場所も解説していただいた。終戦前にあった道場を戦後に文化会館として活用していたが、その跡地に前川國夫の設計になる県立博物館を建てたという経緯を知り、公園にしっかり根をおろした博物館への親しみを一層感じることができた。    (nimo)






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