今回も3日前には荒天と言われていたがメンバーの日頃の善行の所為か朝から雲一つない晴天・無風で絶好の古道歩き日和である。電車が20分の遅れ(いつもの事であるが)なので10時頃に25人で熊谷駅を出発する。前回鑑賞できなかった熊谷直実公銅像を拝観するが晴天と逆光で凛々しい顔は覗けなかった。

駅前の広い星川(1945年8月14日の大空襲で街の7割が焼けてしまったので戦前の建物は極く少ない)を渡る。17号を横切って大里郡の郷社高城神社を参詣、ここで早くも記念写真の撮影を行った(写真)。七五三晴れ着の親子連れが不思議そうに我々を眺めていた。

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旧中山道に入る、沿道に古風な建物の人形屋さんがあった、横道から千形(チカタ)神社参拝、熊谷氏が大きな熊を退治した際に流れた血の形が社名の謂れであり熊谷の地名由来でもあるらしい。熊谷聖パウロ教会の煉瓦塀に沿って歩く、煉瓦造りの鐘楼と切り妻の屋根が大正モダンを醸し出している。(写真)

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近くの伊奈利神社の横を抜けると熊谷寺だが残念ながら入寺できなかった、山門から中を覗くと立派な伽藍と庭が見えた。17号を横切り星渓園に出かけたがここも臨時休館中であった、仕方なくお隣の石上寺を覗く、新しい本堂が輝いており境内にはモース博士の銅像やなかなか面白い石像が並んでいた。再度17号を横切り旧中山道上に建てられた八木橋デパートの1階を進む、美味しそうな御菓子やお土産が並んでいた‥ここで買物をしてしまうと遅れてしまうので足早に通り抜ける。2差路を右斜めに進み松厳寺に、この寺も熊谷大空襲で焼失して戦後再建された、禅宗の寺であるが建物や庭がモダンな感じだ。少し歩き右側に熊谷うちわ祭りの発祥の八坂神社、予想より可愛かった。石原南歩道橋を渡り17号に合流、しばらく広い道を横に車の流れを見ながら進む、左手の緑地に宝登山・秩父往還への3つの道標が並ぶ、ここが秩父への分かれ道であった。

17号を進む、増田屋の先で左に分かれて旧道へ、ほどなく新島一里塚、けやきの大きな切り株の上に細い若木が生えている、百年後にはどうなっているだろうかな?左側の大里教育会館裏公園で昼食休憩、すぐ横に忍領南石標、他藩との境界に建てた16本のうちの一つで県文化財である。ここで行程の半分以上を過ぎたが、これから先は見学するところは少なくひたすら歩くことになる、街道歩きなのだから当たり前かな?宮塚古墳通りを横切る、視野が開けて北の山々が近くなってきた、山頂はまだ白くなっていなかった。玉井農林総合センター手前で17号を歩道橋で横切る、平坦な道ばかり歩いているので歩道橋の登り降りは意外と疲れる。ここからの道は交通量が多くなる、1列縦隊を守らなければいけない。熊谷バイパスを横切った先の上茶屋集会所脇地蔵祠、暗くて良く見えなかった彫は確かだ。さらに進むと荒川から流れる奈良堰用水を渡る、大分駅に近くなってきたようだ、この辺り広く大きな新興の住宅団地が並んでいる。新堀北交差点左手奥に籠原駅が遠見できる14時半過ぎほぼ予定通り籠原駅到着する。途中地元の人に道を尋ねるとのどかな感じの熊谷弁で答えてえてくれる・・埼玉県も北に来たなと実感しました。

次回は3月8日(土)9時30分籠原駅に集合して深谷駅までの予定です。 
           記 寺内慎一

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