おなじみの友の会の「まち歩き」。今回は「飯能の街めぐりと飯能渓谷」となります。2024年(令和6年)10月25日(金 10時に西部池袋線の飯能駅とJR八高線の東飯能駅の2カ所に分かれての集合になり、どちらの駅からも数分で行ける駅前通り交差点付近で落ち合いました。しかし駅を出た途端になんと雨が降り出すという展開。天気予報では午前中はくもりの予報でしたが、これだけはわかりません。ここまで来て中止もできず、天候も回復基調ということで傘を差しての出発となりました。それでも29名という大人数、二手に分かれての見学開始です。
飯能は材木と絹織物で栄えた街です。火事の多かった江戸時代には材木の需要が盛んで、入間川や高麗川(最後は荒川になる)の水運により10日ほどで江戸に運ばれる秩父・飯能の材木は「西川材」と呼ばれ、飯能の町も賑わいました。明治以降になると、日本では養蚕や生糸の製造が基幹産業に位置付けられ、昔からの養蚕地であった飯能は、その立地条件を活かしながら発展していきました。今も、昔からの店舗や住宅が残る飯能大通りは、この当時には商業地としてかなりの一等地だったそうで、この通りはもちろん、町全体にそうした繁栄の名残を残しています。これが現在につながり、歩くたびにその良さを発見できます。
午前中の飯能の町中散策では、飯能のNPO法人ハンノウ大学が作成した『歴史建物めぐりお散歩マップ』を使用しました。この地図を駅で各自に配布し、2グループに分かれて時間差のでまち歩としました。道が狭いためですが、思ったより危険はありませんでした。
いただいたお散歩マップは一見ラフのようですが、道路や建物の位置関係は大変正確に書かれていて、この地図に従って歩けば心配なく見学ができるようになっています。集合地点の東町交差点から、(このマップにある)見学建物の数字順に実際の店や家をめぐるという感じです。
町の中央部にある「飯能織物組合事務所」は大正11年の建築で国指定の文化財です。絹の検査や関係する税の徴収は、すべてこの同事務所で行われたということ。その取引で蓄えた財力で、武蔵野鉄道(現西武鉄道)を呼び込むことにも成功しています。洋風でありながら、屋根の両端にしゃちほこが据えられ、独特の和洋折衷様式を今にとどめています。やや老朽化して、保存の必要がありそうです。
これも中心地にある「店蔵・絹甚」は明治30年代後半に建てられた土蔵造りの店舗で、建築当初の様子を残しいて細長く中庭まであります。飯能の歴史を考えるうえでも貴重な文化財でしょう。その他、多くの民家や商店、旅館など、いずれも興味深く、道をあちこち移動して歩きながら埼玉県でも東部南部の商業都市とは違う生活文化が栄えていたことが感じられます。小雨の中ですが、参加の皆さんは感慨深げに見学を続けました。
最後の絹蔵絹甚に入っているうちに雨もあがり、「仲町交差点」から通りを北へ進み、街を少しはずれ、分岐点にある「鶴舞地蔵」で右方向、西武線をくぐり山沿いにある智観寺に向かいました。
智観寺はかつて水戸徳川家に仕え、常陸松岡藩の大名となった中山信吉や中山氏の墓碑が多数おかれています。近くには中山家居館跡(県指定史跡遺跡)もあります。この館は、中世武士団の館跡として著名で周囲には堀や鎮守一二社や守護神が置かれ、中山家に仕える武士の居宅があったそうですが、現在は空濠のほんの一部を残すのみです。中山氏については最後に行った市立博物館にも多くの展示がありました。
中山家範館跡見学後、町中にもどり、飯能河原交差点から飯能河原に行き、ここで昼食・休憩。河原ではそろいの青い帽子を被った小学生がにぎやかに食事中。われわれも食事をしたあと、二手に分かれて午後のコースへ。ひとつは、入間川にかかるいく本かの橋を渡る軽いハイキング感覚で、金蔵寺・八耳堂(太子堂)・軍太利神社へ歩き、最後に飯能市立博物館にもどります。もうひとつのグループは、飯能河原から直接、飯能市立博物館へ向かいます。
ハイキングコースの一行はまずは河原からすぐに入間川の上流の渓谷沿いの遊歩道を散策スタート。すでにここから吾妻峡が始まっているのです。この吾妻峡は市内に近いわりに観光化されていないほぼ手つかずの入間川(名栗川)の自然渓谷で、木々と巨石群、清流に出会えます。両側の河岸段丘は高さ20メートルくらいありそうで崖はかなりの急坂になっています。
ただしややハードな付近は歩かずに適当 なところで河岸段丘沿いの道路にあがりました。川沿いの道を歩きだすとすぐに金蔵寺や八耳堂にでます。金蔵寺は鎌倉時代の当地の豪族・大河原氏の菩提寺ですが、今やその面影はなく、境外仏堂であった八耳堂だけが残っています。八耳堂は太子堂とも通称され、保元年間(1156-1158)に創建されたと伝えられ、現在の堂宇は文政3年(1820)に再建されたものとのこと。横手に不思議な池があり、堂宇横には、飯能市有形文化財に指定されている宝篋印塔が置かれています。さらに、その奥には軍太利神社があり、そのまま大河原氏が城砦として使用したとされる龍涯山に続いています。いまや見学者もあまりいませんが、飯能の歴史の古さを物語っているようです。
飯能博物館では「飯能の山旅」という企画展が開催されており、興味深い旅行パンフレットや古い絵地図が展示されていました。
(記 筑井)