まずは大森です。教科書にも載る最も有名なこの貝塚が発見されたのは、1877年(明治10年)。アメリカから来日したエドワード・モースにより日本初の学術的な発掘調査が行われた場所で、別名“モース貝塚”とも呼ばれます。それを記念して大森駅のホームには『日本考古学発祥の地』という立派な石碑がたてられています。
最初に駅近くの最初の見学地である大森貝塚の碑に向かいます。ここでモース博士が発見した遺跡が日本考古学の最初の一歩になった場所です。国指定史跡で「日本考古学発祥の地」とも言われています。地形はほとんど変わってはいないと思われ、今でもここから数メートルの場所に東海道線などの鉄道が走っています。この地も2027には発見から150年になりますから、近代日本歴史学の開花という意味ではこの「遺跡」自体が文化財になりつつあるようです。狭い場所なので写真を撮るのも大変です。
次に、近くの品川歴史館に。今年4月にリニューアルオープン、大森貝塚や東海道品川宿、鉄道などの歴史や文化が主として映像をみる形で学べます。駅から歴史観まで駅前道路(ここでは池上通りという)は、古東海道で、前回のまち歩きで訪ねた「品川・高輪の二本榎通」につながっています。そのためか、近くにはいくつもの古い寺社がありますが、今回は鹿島神社と天祖神社をまわりました。大森遺跡公園は貝塚の発掘場所を一部保存しながら公園化したもので、近くの幼稚園児たちが楽しそうに遊んでいます。幸い、木陰にいくつものベントがあり、昼食休憩とします。
昼食休憩後、一行は、JR線で大森駅から上中里駅まで移動します。不思議なほど人通りの少ない上中里駅前から新幹線や京浜東北線の線路沿いに田端駅方面に進むと、そこが日本最大級の貝塚といわれる「中里駅遺跡」です。ただし、遺跡といっても住宅地の中のいくつかのを空き地で、丈の低い雑草に埋め尽くされた広場の一郭に国指定遺跡であることを示す標識杭や説明パネルが建てられているだけの殺風景なのものです。しかし、この中里貝塚は、最大で厚さ4.5m以上の貝層が広がるという海浜低地に形成された巨大な貝塚で、貝の加工がおこなわれ、生産された大量の干し貝は、内陸へ供給されたものと想定され、縄文時代の生産、社会的分業、社会の仕組みを考える上で重要な場所なのです。少し離れた場所に表面が削られた工事現場のような場所があり、ハマグリや牡蠣などの風化した貝殻が見られました。
最後に、上中里駅からまたJR線で王子駅に移動(ひと駅、約2分)して、飛鳥山博物館に向かいました。この博物館は北区や近隣地域の考古、歴史、民俗等や自然に関する展示しています。小さいながら地域博物館としてわかり易い展示がされ、感心します。
中には中里貝塚の「貝層剥ぎ取り標本」や遺跡から出土した東京湾で唯一の「丸木舟」が展示されています。ケースに入れられた「丸木舟」は、ムクノキの一木を刳りぬいて作られたものだそうで、全長5.79メートルある巨大なものです。縄文時代中期の中里遺跡は砂浜の海岸で、丸木舟はその渚に据えられたような状態で出土しました。土器や石器とは違って、当時の人々の姿や生活の様子が身近に感じられる感動的な展示です。