まず、桶川駅で集合したのち、すぐに中山道を北に向かって歩きました。古い宿場のまちという感じで、蔵造りの商家が多いのが特徴です。島村家住宅土蔵を見ました。現在の店舗の裏にある土蔵造りの三階建住宅です。歩いて行くと府川本陣跡があり、門のところまで見させていただきました。前田藩や皇女和宮が宿泊した場所と言われているところです。曹洞宗の大雲寺を見学していたらとてもいいお天気になったため、ここで真っ青な空の色の集合写真を撮りました。北に向かって歩いていくと道の向こう側に上木戸跡の碑が立っています。ここまでが桶川宿で京都に近い側なので「上」です。少し歩いてから、北本の中心地まで「けんちゃんバス」で移動です。小さいバスでしたが、3分くらいで2台来る時間でしたので、みんなバスに乗って移動しました。多聞寺に着くと入り口付近に「無患子(むくろじ)」の木があり、実が下に落ちていました。この実の種で羽子板の羽の黒いところを作るようです。隣にある本宿天神社にいい東屋とトイレがありましたので、ここで昼食時間としました。昼食が終わって北本駅前を歩いたのち、東間浅間神社によりました。
ここは、富士塚の上に浅間神社があるところです、男坂の幅の短く歩きにくい階段を登って、神社を見たあと女坂の階段で降りました。この先で踏切を渡り線路沿いが「古中山道」とのことです。そこを歩いていくと原馬室一里塚跡に出ます。住宅の間にある一里塚には、なぜかシュロの木が植えてありました。そのまま畑などを見ながら、中山道を越えたところに、金剛院があります。ここの地名は、「人形」です。鴻巣の人形はここが中心のようで、中山道沿いに数々の人形店がありました。中には「1月中旬から4月末まで営業」と書いてある人形店も。鴻巣市産業観光館「ひなの里」により、人形の見学とお土産を買いながら休憩しました。名物の川幅うどんを買っていた方が多かったように思います。勝願寺によると大きな境内に、牧野家の歴代当主のお墓があります。本堂の脇には、小松姫のお墓があります。小松姫は本多忠勝の娘で、徳川家康の養子となり、真田信之と結婚しました。その三男の真田信重夫妻のお墓もありました。
また、伊奈町の名前の元になった、伊奈忠次・忠治のお墓もあります。忠次は、小室藩主で伊奈町丸山に伊奈屋敷があります。忠治は川口の赤山陣屋で、大宮の中山道を氷川神社参道から西側に道を移設した人物です。その後、鴻巣駅近の鴻巣御殿跡を見た後に駅前で解散となりました。
次回は第41回「中山道 鴻巣〜吹上」は令和6年5月18日(土)高崎線鴻巣駅→高崎線吹上駅の予定です。(小谷野幸夫 記)