本庄市と早稲田大学が共同して設立し運営に当たるユニークな形態のミュージアムを訪ねました。総勢37名が向かったのは、古墳時代の北武蔵の先進地域です。県の南東部から出発したほとんどの参加者にとっては、意外に広い埼玉県を実感する遠くて暑い一日でしたが、貴重な体験が疲れを感じさせないものになりました。
  初めに館内展示の見学です。学芸員の太田博之さんや松本完さんを説明者として2グループに分かれて説明を受けました。円筒埴輪の側面を整えるために格子状の板を押し付けたように見える格子叩き技法は渡来人が関わっていたことを窺わせるとのこと。
1)本庄早稲田ミュージアム外観DSC_0359.JPG2)円筒埴輪格子叩き技法説明.JPG3)盾持人物埴輪DSC_0364.JPG
 展示品の中でも出色の盾持人物埴輪は不思議な笑みに引き込まれました。単なるスマイルではなく威嚇的な意味を思わせる造形が口の周囲に認められるそうです。

ガラス小玉鋳型DSC_0367.JPG
 沢山の古墳に関わる品を見ましたが、少し新しいもので装飾ガラス玉の作成のための鋳型からは小さなガラス玉の一個ずつに当たる穴の中心部に細い芯穴のような形状が認められます。これは糸を通すための穴を初めから形成するための工夫のようです。使った材質にも興味が湧きますが、スゴイ。。。

 本庄市が児玉町などとの合併により広がったため遺跡の分布も広範囲に多く存在します。未知の埼玉県はまだまだありそうです。

5)講座風景DSC_0369.JPG
 展示室での見学を終え、3階のレクチャールームで太田博之学芸員から古墳時代中期を中心とする埴輪の変遷をご説明いただきました。階段教室での講義は集中しやすく恵まれた環境でした。前方後円墳集成畿内編年という編年法で7期というのが大型古墳に人物・馬型埴輪を出現させた画期だったとのこと。畿内では大仙古墳が作られた時代で、穴窯の導入期だったようです。
6)ワークショップDSC_0373.JPG
 講座後、実物の埴輪を手にとって親しむワークショップも体験できました。写真の手前は鞆(とも)という弓を射る時に手首を守る防具です。全て本物とのお話で、両手で恐る恐る持ち上げてみました。
7)ミュージアムから埴輪窯跡へ向かう.JPG
 この後、埴輪窯跡の見学に出発です。
8)暑い公園DSC_0377.JPG
 花は咲いていませんでしたが、マリーゴールドの丘公園は良く整備されており、暑くさえなければ絶好の散歩コースでしょう。
9)宥勝寺裏窯跡遺跡DSC_0380.JPG
 公園の一角のこの斜面が埴輪窯があった場所です。材料の粘土や燃料調達も容易な環境でこの登り窯を使った古代人が偲ばれます。遺跡の保存は初期の調査と開発計画との絶好のバランスで上手くいったようです。少し離れた宥勝寺の名を正式名にも取り入れて「宥勝寺裏埴輪窯跡」と称しています。
 以上、ミュージアムの多くの関係者からのご支援により勉強の機会を与えていただいたことを感謝します。 (nimo)

【「究めるシリーズその2:埴輪」は、企画・運営の旗振りを中心になって進めた会長の中村が体調すぐれずいったん実務を離れており、準備不足でブログでの記事公表も遅れています。スタートアップ総論としての講演会(4/5)と第1回の見学会(4/26行田市郷土博物館)の記事は後日さかのぼって要点のみ記載予定です。】
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