シリーズ最後は縄文後期、下総台地に形成された神明貝塚がテーマです。
2月22日(水)春日部市教委文化財保護課 森山 高 主幹をお招きして「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」と題して講演をお願いしました。会場は市民会館おおみや集会室、前回の蓮田市公民館に続き2回目の館外講演会です。
スクール形式の集会室で、旧庄和町時代から半世紀を超す調査を経て解明された神明貝塚の価値について詳しいお話をうかがいました。
神明貝塚は300年という縄文時代としては極めて短い時間に存続した貝塚で縄文後期前半に焦点を絞った集落の様子が分かる遺跡です。
例えば貝塚の98%は汽水域に生息するヤマトシジミで貝の総量は355tと推定され、300年間、年200日貝を採っていたとすると1日当たり5.9kgの貝殻を捨てていたことになるそうです。こんな推計が出来るのも短い時間軸だからこそと言えます。以下は筆者の概算ですが現在シジミの味噌汁を作ると1杯60g位が必要です。神明貝塚の縄文人がヤマトシジミをスープの食材にしていたなら、味噌汁と同じ量で1日100杯ほどになります。朝夕1人2杯ずつ飲むとしたら25人位(5~6世帯)が暮らしていたのかな、などと勝手な想像も楽しめ、4大貝塚の中でも最も身近に感じられる貝塚ではないでしょうか(参加71名)
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講演会に続き3月7日(火)現地見学会を実施しました
シャツ1枚で過せるほどの一日、縄文海進の頃の春もこんな気候だったのでしょうか。神明貝塚は他の三貝塚と違って都市化の波が及ばない地域にあり、大部分が田畑です。東武動物公園駅から路線バスに分乗して30分ほど、江戸川のスーパー堤防を目の前にした春日部市西親野井地区が貝塚の所在地です。今回も先月の講演に続いて市文化財保護課森山 高主幹にわざわざ現地までお越しいただき案内していただきました。
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貝塚北側より 右手が台地で貝塚が広がる 左手が縄文期は谷があり中川低地につながる水路があった。
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まずは地形など遺跡の全体像を理解 前方の森の先が江戸川 左側が貝塚東部
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貝塚南部遠景
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貝塚南部全景  最も早くから調査された区域 住居跡8軒や2基の墓が発掘されている
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地表に散乱している貝殻
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右手が貝塚西部 北方より 最も貝層が密に分布している区域
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貝塚北部 南方より この辺りが馬蹄形の開口部に当たる。
左手手前あたりがやや低くなっており広場状の区域
2016年、左手上方より左奥へ70m幅4mを発掘調査(第12次)12軒の住居跡や3基の墓を発掘。そのうちの年配の女性は耳飾りや貝輪といった装身具をつけて土偶と共に埋葬されており、シャーマンのような特別な人物かもしれないということです。発掘に立ち会われた際の臨場感あふれる話も聞くことが出来ました
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現地見学の後はまた路線バスで春日部市に戻り、春日部市郷土資料館で神明貝塚のジオラマと展示されている出土品を森山主幹の解説で見学しました。ジオラマでは森や谷も復元され集落の様子がよく分かった。
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第12次調査区で発掘された住居と墓地の様子 と 埋葬されていた装身具 
神明貝塚はまだ全く手つかずの遺跡です。保存活用に向けてのこれからの長い道のりが順調に進むことを祈るばかりです。kin
 (参加37名  )※画像一部2022年11月撮影
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