まち歩きクラブ、12月は上野公園から谷中を経て田端駅までの道中です。途中の谷中七福神はまだお正月ではないため神様はまだ姿を現していませんのでゆかりの寺社巡りとなりました。JR上野駅・公園口改札前に午前10時集合。24名の参加です。まずは国立西洋美術館を訪れました。国指定重要文化財で世界遺産でもある美術館の建物は今春(2022年春)、本来のデザインに近い改装が終了しています。この美術館はわれわれが身近に世界の芸術と触れ合う場所ですが、今回は常設展「中世から20世紀にかけての西洋美術」を鑑賞しました。通常展は65歳以上入場無料なのですが、「松方コレクション」ほかの収集された数々の絵画作品はもちろんコルビュジエ設計による直線を活かした独特の建物構造や内部の窓から見える景色なども粋を凝らしていて飽きません。約1時間の見学後、中庭でロダンの彫刻を鑑賞しながら記念撮影。

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次いで、当初の予定にはなかったのですが、不忍池を渡った池の端にある横山大観記念館を訪問しました。日本画の巨匠・横山大観は明治41年(1908)この地に住み始め、大正8年に大観自身のデザインによる京風数奇屋作りの建築と庭園が建てられ自宅兼画室として使用されていました。東京大空襲で焼失後、昭和29年(1954)にほぼ同じ形で再建され、1958年〈昭和33年〉に亡くなるまで、大観はここに住み、制作活動を行いました。20名の会員が見学希望で門をくぐって室内へ。整頓された室内や庭園は日本画の精髄のような静かで落ち着いた雰囲気が漂い、畳の上に座っていると心が穏やかになってくるようです。ここも時間がとれず申し訳ありませんでしたが、ほとんどの方が楽しんでくれたようです。上野は、西洋と日本2つの芸術が融合している場所です。蛇足ですが、ここに来ると、男性陣からは必ず大観が好んだ日本酒「酔心」の話題がでます。

休憩後、13時すぎに弁天堂・弁財天から出発し、谷中七福神のルート歩きを開始しました。都内で最古の下谷七福神ご滞在の寺社をたどりながら下谷地区の雰囲気と旧跡などを散歩するというわけです。この地は、江戸時代に「日暮の里」(ひぐらしのさと)と呼ばれ多くの文人墨客が集まる行楽の地でした。江戸の初期、天海僧正が東叡山寛永寺を建立する際にここにあった不忍池を琵琶湖に見立てて竹生島から辯才天(弁財天)を勧請しことなどから、自然発生的に始まったという七福神めぐりは江戸の庶民の日帰り行楽地として、今も徒歩で回れます。

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順序は、鷗外住居跡を経て清水坂をのぼり、 護国院、さらにこれは七福神ではありませんが、この地の大寺院の現在の姿である 寛永寺の根本中堂、そして上野桜木交差点では移築された酒屋舗庭を見学して賑やかな言問通りへ。いつ来ても静かな池之端の寺社通りを通って地形に沿って緩やかに曲がる下谷の街を楽しみました。空襲を受けなかった谷中地区には古い商店や建物が随所に残り、高いビルもないので昭和の風景を残す貴重な街並みになっています。今や観光地ですが、それでもこうした風景はながく残ってほしいのものです。長安寺の次は谷中墓地の一角にある「 谷中の五重塔跡」。ここは かつての天王寺の敷地で大寺院の跡を偲びます。坂を下ると、 JR日暮里駅です。 修性院や山門扉に上野戦争の銃痕跡の残る経王院、そして夕焼けだんだんを通って 谷中銀座に続く道へでます。

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このへんで参加者にやや疲れが見えてきたようですが、最後の青雲寺から 今や観光地の富士山の見えない「富士見坂」を登って道灌山(西日暮里公園)へ。このすぐ直下がJRとメトロの西日暮里駅で、交通の便がいいので、ここで帰った方が多かったようです。いま西日暮里公園となっているの山頂付近は、地形的には芝から王子まで続く武蔵野台地先端の崖線上の微高地ですが、古くから「道灌山」と呼ばれ、江戸時代以前の河川交通の荷卸し場所で目印の松があり、かつ崖上は見晴らしの良い景勝地で広重の浮世絵にも描かれています。

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「道灌山」や隣の諏方神社にちなむ「諏方台」という由緒ある地名がありながら、どうして「西日暮里公園」なんていう面白くない名前をつけたのか理解ができません(多分、文化的な由来より未来の地域振興が大事なのでしょう)。最後の東覚寺はやや離れたJ田端駅近く、午後3時半頃、ここで解散となりました。好天で、心配された寒さもなく、よいまち歩きができました。(筑井 記)


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