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友の会まち歩きクラブは「隅田川テラス歩き」第3回目(永大橋から勝鬨橋)を10月28日(金)に開催しました。約1カ月の延期にも関わらず、当日の参加者は27名と相変わらず多かったです。東京メトロ・人形町駅に午前10時集合、水天宮通りを隅田川へと出発。まずは前回の続きである隅田川大橋から渡り始めます。さして特徴のない新しい橋なんですが、前回の清洲橋、本日の永代橋という2つの見どころのある有名な橋が左右に一度に眺められるビューポイントなのです。

 永代橋と」佃島のマンション群

次が永代橋。この橋は「隅田川巡り」の中でも定評のある美橋で「帝都東京の門」と言われていたようです。かのドイツの ライン川のルーデンドルフ鉄道橋をモデルに設計されたとされ、その景観とともに、現存では最古のタイドアーチ橋ということもあって国の重要文化財に指定されています。そして、この橋の上から河口方向に目を向けると、空に突き刺さるような佃島の高層マンションが眼前に迫ります。始めて見た時の迫力を思い出します。30年ほど前から始まった東京湾岸のいわゆるウォーター不フロントの開発は現在も続いていますが、今でも東京の(というか、ややおおげさにいうと日本の)もっとも現代的な風景のひとつとして、われわれを魅了します。ちなみに今回の参加者の中に当時のこのマンションの販売に関わっていたという方がいました。この付近で隅田川は本流と分流に分かれ、分かれた方は「晴海運河」という名称になります。

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次は、中央大橋を渡って佃島エリアに入ります。佃島はもともとは隅田川の河口にできた自然の砂州が原型で、歴史的には徳川の江戸移転時といいますから、今から400年以上前に大坂の佃村と大和田村からの入植を契機として、その後の河口埋め立てによって完成した漁村でしたが、特に戦後、高度成長時代から付近の埋め立てが本格化し、石川島、月島と地続きとなり、いまやビル、マンションンの林立する、都心に近い高級生活・商業地区になっています。

 佃島に残る江戸風情

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橋を渡り、島に入ります。といっても大通りの賑わいは銀座や日本橋の延長の感じです。しかし、そこから少し路地を入ると佃神社、住吉神社のある旧佃島地区になり、隅田川と繋がる狭い水路の付近には小さな家や商店が並んで下町の生活感がただようの風情になります。そこにかかる佃小橋で記念写真をとりましたが(上の写真)、通りには車もあまり走らず、この日は観光客もあまりいませんので、われわれは公園でゆっくり休憩できました。この日を含めて、私はほんの数回しか佃島を訪れていませんが、高層マンションがありながら、昔の佃島の風情を残す住吉神社と入江付近の静かな町のたたずまいや整備された公園、川際の遊歩道など、都心の超好立地を別にしても、かなり生活しやすい場所だなという印象をもちました。

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次に一行は、この佃島をいったん離れて、晴海運河を渡り、越中島に向かいます。その途中の相生橋の下にあるのが隅田川で唯一の無人島!です。中の島公園という素晴らしい名前が付いていますが、見どころは晴海付近のビル群なので多分夜景がいいのだろうと想像します。ここで橋をくぐって反対側に出ると、そこに帆船・明治丸の帆柱が見えてきます。東京海洋大学の中にあり、大学の手で管理されています。

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この明治丸は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に明治7年に竣工した汽帆船(鉄船)です。同大学ホームページより抜粋しますと「特別室やサロンを備えた豪華な仕様の新鋭船で、燈台業務ばかりでなく、ロイヤルシップの役目も兼ねていた。明治天皇はじめ多くの高官が乗船し、わが国近代の重要な場面で活躍。なかでも明治8年、小笠原諸島の領有権問題が生じた際に、日本政府の調査団を乗せ、英国船より早く小笠原に到達。このことによって、小笠原諸島はわが国の領土となった。」ということで、日本の国益にかなりの貢献をしています。これにより、日本に現存する唯一隻の鉄船であり、鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として、国の重要文化財に指定されています。船としての重要文化財指定はこの明治丸が初めてということです。残念なことにこの日は記念館(東京海洋大学)が公開日でなく、船の全体を見るだけになりました。

相生橋をもどり、佃島の河川沿いに設けられた遊歩道を歩いて再び佃島公園に。そして佃大橋を渡って築地川にもどります。佃大橋は、1964年(昭和39年・オリンピックの年)、隅田川の渡船場として320余年続いていた「佃の渡し」の位置に架けられた橋で、この時まで佃島と月島を隔てていた佃川は、佃大橋の取付道路建設のために埋め立てられ、佃島と月島は地続きになり、島としての形はなくなってしまいました。

 興味尽きない勝鬨橋

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参加者の中にかなり疲れてきた人もいるので、南高橋や波除神社の見学は中止、最後の勝鬨橋へ向かいます。巨大な橋の橋脚部には国重要文化財指定のかなり立派な浮き彫りの金属製プレートが掲げられています。隅田川の国重要文化財3橋のなかでも一番力が入っているようなプレートですが、この勝鬨橋は、建設当時(昭和15年)開催予定の国際博覧会のアクセス路として日本人だけで世界一流の技術を誇示するために建設されたという経緯があり、日本の科学技術の成果を示すものでもあったことが評価されたのでしょう。なお、この橋の袂には、橋の機械式昇降時の電源を担った変電施設の跡を利用した「かちどき橋資料館」があります。何気なく入ったのですが、中には実際に橋の開閉を行う精巧な模型などもあり、大変興味深かったです。友の会参加者の皆さんは多彩な経歴の持ち主で、電気・変電設備などに詳しい方もいて「解説」をうけました。

橋の機械構造を学習したおかげで、橋を渡りながらも橋梁に無数に撃ち込まれた金属の鋲や中央部道路に残る楔形の接合部分にも関心が向いて、これを建設した人たちのことを考えながら興味がつきません。渡り終わり、これで3回にわたった「隅田川テラス歩き」と題した橋巡りはめでたく終了ですが、じつはこの下流にもうひとつ、昨年のオリンピックとも関連して「築地大橋」という橋が架けられています。元気のあるひとはわたりましょうというと、10人近くの人が手をあげ、さらに30分ほど、築地市場跡の広大な建設現場を横目に(反対側は浜離宮庭園)してゆっくり歩いて大江戸線の駅で解散となりました。
(筑井・記)
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