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まち歩きクラブの「隅田川テラス歩き」は3回に分けた開催に変更しました。そこで、第2回目の今回は前回の続き「蔵前橋」から「清洲橋」までということになり、距離自体は短くなりましたが、新しい発見も付け加えて、隅田川ばかりでない面白いまち歩きとなりました。集合はJR京浜東北線・御徒町駅北口に午前10時。この日も25名の参加で「まち歩き」の常連が多いです。ここから地下鉄大江戸線で蔵前駅に移動、鳥越神社→蔵前橋→回向院→旧安田庭園→両国橋→柳橋=神田川→浜町公園(休憩・食事)→新大橋→芭蕉公園→小名木川・万年橋→清洲橋→隅田川大橋袂の箱崎町付近で解散しました。ほとんどの人は人形町通りを散策して人形町駅で帰宅したと思います。

タイガービルヂング 
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蔵前小学校
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鳥越神社
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隅田川沿いは江戸文化が爛熟した地域ですから、歩くたびにいろいろな文化財が見つかります。今回も、地下鉄・蔵前駅すぐ横に「茅寺」なる立派な構えの寺があり、北斎の浮世絵にも書かれている石灯篭が鎮座しておりました。鳥越神社に行くまでの蔵前の街でも2つのポイントを発見。1つはタイガービルヂング。1934年(昭和9年)建築の歴史的建造物で清洲橋などと同じ震災復興時期に建てられている台東区内で最も古いビルです。建築技術史的にも貴重で2016年(平成28年)に区の文化財に登録されています。もうひとつは2019年建築と、逆にまったく新しい蔵前小学校の校舎です。ホテル? 劇場? と思いきや、子供達が出てくるのが見えて学校だ分かりました。「精華小学校」というプレートが道路上に建てられていて、なんと夏目漱石が通っていたという大変な歴史があるようです。見れば誰もが圧倒される建物で、国立競技場の設計で有名になった隈研吾氏のデザインだそうです。

鳥越神社は平安時代の源義家の大川渡りという伝説を残す古社で、江戸初期までは白鳥の丘や広大な領地がありました。今でも千貫神輿で有名ですが、江戸幕府による土地の収奪と近年の区画整理の影響を受け、現在の境内は格式はありますがいかんせん狭く、神社を価値あるものにする奥深い社叢林がありません。数本の古木も居心地悪そうです。

蔵前通りを進みます。隅田川沿いにあった米蔵跡には、戦後になって大相撲の聖地・国技館が建って賑わいましたが、現在は東京都下水道局と見学施設「蔵前水の館」となっています。今回は見学しません。蔵前橋をわたり、すぐ見える緑地は旧安田庭園。隅田川の水を引いた潮入回遊庭園で江戸時代の大名庭園として造られましたが、1879年(明治12年)、安田財閥の祖である安田善次郎が所有。その後、関東大震災により破損後、移譲を受けた東京市が復元を行い、市民の庭園として無料で開放されています。池をめぐってひと歩き。やや蒸し暑いこの日の休憩にはちょいどいいです。

旧安田庭園
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次いで向かう両国橋は空前の大惨事になったとされる江戸・明暦の大火(1657年)の後に、千住大橋についで架けられた隅田川2番目の橋です。火災対策で設けられた両岸の広い火除地にやがて様々な遊興施設が作られ、相撲や花火も行われるなど江戸でもっとも賑やかな場所になりました。災害が江戸の街をつくったというのは本当のことです。また、これも火災復興対策として竪川など多くの掘割が掘られ、今日の深川の景観が生まれました。無縁仏を弔うために回向院が建立され、巨大な慰霊石碑が現存しますが、文字はほとんど読めなくなっています。現在では境内に関東震災や戦災の慰霊碑おまけにペットの慰霊碑までたくさんあります。

この付近にくると葛飾北斎の名前・記念碑が多く目立ちます。一方、あとで行く新大橋、清洲橋付近では芭蕉の石碑が多いです。北斎美術館(墨田区)と芭蕉記念館(江東区)の行政力争い? でしょうか。両国橋を渡った右岸側近くに神田川が合流していますが、そこに架かるのが柳橋です。江戸時代以来、屋形船などの停泊地でもあり、現在でもそれなりの景観を残しています。鉄製の橋も時代を経ると雰囲気が出てくるのが不思議です。

両国橋には大相撲のレリーフ
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柳橋
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両国橋と新大橋の間の隅田川の上で首都高速6号線(下)と7号線(上)が交差しています。見上げるとまさに一種の建築美で、ここで桁を吊り下げる独特の工法が使われているとかで土木学賞を受賞しています。60年近く前の大工事だったと思います。江戸の街並みを破壊したと評判の悪い首都高ですが、建設した人々の熱気が想像されます。将来の文化財候補か?

右岸を進むと右手に緑の公園が見えてきます。中央区の浜町公園です。明治座のすぐ横、歌でも有名な浜町河岸に面して、いまでは近くのオフィスの人々の憩いの広場です。われわれもここで昼食休憩としました。休憩後、目指すのは、残りの2橋。まずはオレンジの橋脚が鮮やかで目を引く新大橋。今、われわれの見る新大橋は昭和52年架橋の新しい橋ですが、かつては隅田川3番目の橋で、広重の『おおはしあたけの夕立』に描かれています。江戸当時の橋は現橋より200m下流だったらしいです。明治以降、今とは違う鉄製の橋が建設さたようで、その姿が橋脚に浮き彫りされています。こういう細かいところを見られるのが街あるきの魅力です。

新大橋
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万年橋
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清洲橋
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次いで見えてくる清洲橋は、今までの橋と違って江戸時代にはなく、昭和初期建設のまったく現代の橋なのですが、ドイツのケルンの吊り橋がモデルといわれ、川面に映える青い塗装のつり橋型の流麗なスタイルで、今ではこの橋が隅田川随一の美橋といわれています。この日は昼過ぎまで曇り空っぽい天候でしたので、背景のビル群がすこし霞色を帯びて、視覚的にはなかなかよかったです。

橋の左岸手前に江戸の大動脈である小名木川が合流していますが、そこに架かる「万年橋」も隅田川の橋に劣らない名橋で文化財です。こうした橋が江東区にはいくつもあります。この小名木川近くに松尾芭蕉の暮らした芭蕉庵があり、テラスにも新大橋を題材にした芭蕉の句碑が建てられています。ここから見た清洲橋が一番きれいだと、地元の人がいうようですので参加者全員で記念撮影。橋を渡った右岸には金文字の立派な「国指定重要文化財の顕彰碑」があります。石原慎太郎知事時代ですが、その意思が働いたのか、類例を見ないような絢爛たる金ぴかの碑です。

清洲橋を渡り終えると次は隅田川大橋。すぐ上の首都高速道路と一体化して見えます。近づくとますます巨大な橋げたの下が日本橋箱崎町付近で、ここで本日のまち歩きは解散です。地下鉄の水天宮駅がありますが、ほとんどの人は人形町通りを散策して帰ったようです。



第3回目は、今のところ、9月下旬に開催を予定しています(8月に発表)。【行程】としては、半蔵門線・水天宮駅→隅田川大橋→永代橋(永代公園)→豊海橋=日本橋川→中央大橋→相生橋→越中島公園→明治丸記念館(見学)→佃大橋→波除神社→勝鬨橋・資料館→築地大橋(隅田川で最も下流に位置する新しい橋)。最後は、大江戸線・勝どき駅あるいはメトロ東銀座駅になると思います。明治丸は明治初期の気帆船で、船として珍しい文化財で、コロナで閉鎖中でしたが7月から再公開の予定です。
(筑井 記)
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