新型コロナの所為で2年半以上のブランクからの古道探索だ・・、前夜嬉しくてあまり眠れなかった、おまけに天気予報が朝まで雨である、案の定朝起きるとまだ降っている、それでも集合地点の東武動物公園に着くと空は明るくなってきた。24人懐かしいメンバーが揃っている.みんな頗る元気である。行程の説明あり、少し長めだな、昼頃からからりと晴れるとの予報今度は気温が上がりすぎるのが気になってくる、何しろ久しぶりなので余分な心配が色々浮かんできてしまう。
遅刻者なく出発、日光道中杉戸宿から幸手宿までの探索である、杉戸宿は県内5宿のうち一番小さかったが、街道沿いには面影を残す重厚な建物が何軒かあり興趣を誘った、宝性院から旧・旧日光街道(1617~1647)を歩く、鎌倉街道中道が武蔵から下総国との境を越える高野渡し(現古利根川)跡を左に見て永福寺に向かう、ここで久しぶりの街道歩きか、道を間違えてしまい予定に入っていない因幡池跡に出てしまう・・、目的地永福寺の裏である、関東三大施餓鬼で名高い寺で、メイン行事はちょっと離れた因幡池でのどじょう放ちであった・・、ラッキーかな?永福寺で昼食休憩、歴史豊かな寺で長屋門・閻魔や奪衣婆像など見所多かった。西行法師見返りの松(3代目)は見つからないで通過する。
日光御成街道との合流点和戸橋、武蔵国と下野国の境に着く、河川が国境であることを実感する。交差点の角に非常に珍しい庚申塔が建っている、篆書で参姑神と彫られる、60日に一度の庚申日に夜寝てしまうとその人の体から虫が出て天帝に罪を伝えてしまう怖い三尸虫(さんしのむし)の異体字であるらしい。下高野一里塚を通過する、車の通過が多いため、かっての用水路を暗渠に変えた遊歩道を歩き一息つく、八幡神社・天神社と郷の神様が道路沿いに散見される、流石に大分疲れてきた。道沿いのコンビニで休憩、大きなアイス最中買う人が多かったが皆さんすぐに完食してしまった!
御成街道と新日光街道の合流点から幸手市に入った、中世は古賀公方重臣一色氏の領地であり、江戸時代には大部分が天領となり両街道の宿場町として栄えた。神宮寺は源頼朝が奥州征服祈願で創建したとの伝説のある寺である。東武線の踏切を越えて市街に入る、右手の神明神社・菅谷不動尊に参詣、眼の病に霊験あらたかな田螺不動尊として知られる、両脇の狛犬の足の下に大きな田螺が彫られている。田螺と目の関係何かあるのかな? 江戸時代末の建物岸本家住宅前で街道を左折すると幸手駅が見えてくる、今日最後の目的地稲荷神社・領主一色氏の陣屋跡を見学する。
予定の時間より早く幸手駅に到着した、途中でリタイア―する人も無く、さして暑くもならず快適な天候のなかでの一日の探索であった。皆様お疲れさまでした。やっぱり大勢での街道歩きは楽しいものだなと実感しました。
次回は9月10日(土)日光道中幸手~栗橋を散策します、ふるってご参加を!!