令和2年(2020年)2月22日に開催。今回は、参加費を値上げしたが参加者26名とスタッフで31名となった。当日は雨の予報もあったが、全行程で雨も降らず風も強くない歩くのに適した天候であった。今回は春日部宿(粕壁宿)と杉戸宿を結ぶ行程であったが、春日部宿の北側がこんなに寺町であるとは知らず、出発してから10分の間に5ヶ所の寺院があることにびっくりした。
春日部駅(この度橋上駅工事が始まるそうだ)東口より、玉蔵院・妙楽院の横を通ると、見事な山門がある成就院大日寺である。山門を見た後、ほぼ隣の最勝院に立ち寄る。ここは、徳川三代将軍家光の亡骸が日光東照宮に移送される際に仮安置された場所でもある。春日部の地名の由来となった春日部重行の首塚と伝わる墳塚があり、かなりの大きさであった。境内には千住馬車鉄道の終点の碑があり、寺門が街道に向かっている場所ならではの場所である。(初期の街道は、この寺に入り横から抜けていったのだろう。川口の錫杖寺・大宮氷川神社と同じ構造である)目の前には普門院があり、近辺の5つの寺は全て真言宗智山派である。
大落古利根川を渡る新町橋の手前には、船着場の石垣の一部があり、周辺の物資を集積した場所である。前回渡った橋を右に見ながら新町橋を渡って街道沿いに歩くと小渕の一理塚跡そして小渕の追分となる。ここの道標があり、関宿道・奥州道と刻まれている。車の通りの激しい4号線沿いに歩いて行くと、小渕山観音院を左にみる。楼門をくぐり、本堂に向かうと下見の時にお願いしていた本堂の扉を開けていただき、お話を聞くことができた。松尾芭蕉が宿泊したとも言われているとのことである。院内を散策して、楼門の前で記念写真を撮影した後、再度歩き始めた。

春日部市と杉戸町の境に、北緯36度線地球儀のモニュメントを見てさらに歩くと、九品寺に出る。ここの庚申塔の台座には、水準点を示す記号が刻印されている。近くの杉戸町南公民館のご厚意で、昼食場所とトイレを使わせていただいた。昼食後に、記念写真を配布しながら点呼し、午後の歩きとなった。杉戸宿の中に入って行く。馬頭院観音寺により、文永7年(1270年)の紀年銘がある板碑では杉戸町最古の阿弥陀如来種子が彫られた板石塔婆があった。
この先から、街道横の暗渠上の道を歩く、車道と分かれているので歩きやすい。神社が並んでおり、自治会各地区の集会場にもなっている様である。
来迎院による。ここは今日初めての豊山派の寺院である。本尊は運慶作の不動明王と伝えられている。街道沿いの復元高札場によると、近くの日本工業大学の学生が制作・復元したものであり、当時の高札・楷書化した高札・説明文の高札・英文の高札がありとてもわかりやすい。すぐ近くの近津神社・三峰神社に行くと、狛犬がそっぽを向いている様に見える「見返り狛犬」が迎えてくれる。瓦が敷いてある東福寺を見学して、下見の時には既に閉館していた流灯工房の杉戸観光協会に。ここでは杉戸宿のジオラマや航空写真などの他に、流し灯籠の複製などが飾られていた。目の前の古利根川を渡ると宮代町でとなりの郡である。東武動物公園にて、行程の無事に感謝して解散となった。(小谷野幸夫 記)