今回も参加者17名と少数精鋭であったが天気も良くなかなか充実した探索であった。

街道沿いは新興住宅地で施設は整っており生活には便利であるが、我々の求めている古道を歩きながら遭遇する歴史を感じさせる情景は少ないのではないのかとの先入観とは少し違っていた。

武里駅を出発し東武線沿いの大畑香取神社へ、江戸時代不毛の土地の押し付け合い(年貢を課せられる)に勝った祝いの<やった踊り>発祥の地である、境内には珍しい石造物が沢山あった、猿田彦の同体神といわれる境界神の久那戸(くなど)神の庚申塔や女性達が来世を願って建てた立派な血盆經供養塔である。踏切を渡り1列縦隊で歩き旧日光街道に合流して備後雷電神社へ、境内に富士塚と三峰神社、お堂の中に立派な絵馬が沢山飾られていた(下調べの時は氏子さんに開けていただいた、我がスタッフに絵馬の専門家がおり、その貴重さに感動していた)本番は残念ながら外から覗くだけであったが・・。

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浄土宗称名寺へ、三界万霊地蔵尊石仏あり、境内に祠、不思議な金精様が鎮座している、篆書体で逆さに書かれた生・心・忍・譽の文字が更に神秘さを誘う、子宝祈願・・なるほどである。ここから街道沿いは昔の面影は少なく若干退屈な歩きになった、それでも民家の中に建つ地蔵堂、面影はないが江戸より八里の一里塚跡など旧道の証拠は確認できた。このあたりから道を少し離れた右側を古利根川が流れている、藤塚橋という昭和29年まで通行料を取っていた有料橋がある。ここから先も少し退屈であったが道の起伏は無いので疲れは感じなかった、東武アーバンライン(野田線)の鉄橋をくぐると春日部(粕壁)宿も近くなる。

粕壁宿の市神様八坂神社に到着、神社の建物が新しい、実は平成22年に放火により焼失している・賽銭泥棒による犯罪で数件放火されたのである、ここまで歩いた越谷・春日部地域の寺社の管理が厳重なはずである。

長い参道の総鎮守東八幡神社で昼食、ご神木の大ケヤキは樹齢600年である。日光街道の反対側にある東陽寺境内で松尾芭蕉が泊まった事を窺がわせる曽良の随行日記の新しい碑を鑑賞する。日枝神社を経由して春日部市郷土資料館訪問、学芸員さんが春日部(粕壁宿)の歴史を丁寧に解説、大変参考になりました有難うございます。春日部本通りを歩く、本陣や脇本陣の跡、日光道中の道しるべなど粕壁宿を彷彿とさせる。ひときわ大きな田村本家の土蔵造りの建物は間口もかなりであるが奥行きが長く、二階建て土蔵が連なっていた。

ちょっと離れた田村荒物店の前を覗いているとご主人が出てきて商品蔵の中を案内して頂いた、明治初期150年くらい前に建てられた頑丈で屋根の高い立派な蔵であった、裏側は古利根川になっており水運、防火の面も考慮されている。古利根公園橋で千住馬車鉄道のレリーフを鑑賞、往時を想う。終点春日部駅に無事到着して本日の行程完了する、反省会も滞りなく近くの居酒屋で実施した。

次回は令和2222日(土)日光街道その5春日部駅集合です。


あ! 大事な事をお伝えします、所管の事情により次回より参加費500円といたします

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