去る2月9日(土)に予定した羽根倉道番外編3は、天候不順による延期で計画したこの日も空模様が危ぶまれる中、集合場所である埼京線戸田公園駅には23名の方が参加していただけました。

荒川を渡る「早瀬の渡し場」碑は、笹目橋のたもとにあり、源頼朝が下総国府を出発し、荒川を渡り武蔵国府へ向かった場所と云われています。この渡しから北へのびる道筋はかって左々目郷を南北に貫通しており、美女木八幡社の創立が鎌倉と云われる古社であることからその当時よりこの渡しが重要であったことが推測されます。笹目橋を渡り、板橋区。「鎌倉古道しったり坂」を越えると徐々に高台へと続き、赤塚の諏訪神社に到着する。ここの祭神は、建御名方命、赤塚城主千葉自胤(ヨリタネ)が長録年間に諏訪大社より勧請したと伝わる。獅子舞、富士塚、田遊び等が文化財として伝わっている。

「区立郷土資料館」では、区内出土土器、古文書、民俗資料(田遊びDVD等)、古民家(旧田中家住宅)を見学。すぐわきの緩い坂道をのぼっていくと坂は険しくなり赤塚城跡の本丸に繋がる。三方が急崖によって防御されている。周囲より十メートルの比高を有しているなかなか立派な平山城である。

赤塚城主千葉自胤は、下総国の名族千葉総領家であるが、足利成氏や庶流の馬加康胤(まくわりやすたね)らに攻められ、武蔵国で兄と慕う太田道灌を慕い、傘下に入りこの地に赤塚城を構えた。下総国の奪回を図ったが、生涯かなわなかった。千葉氏はの後、小田原北条氏に属した。

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応永年間に創建された乗蓮寺は、昭和46年~53年に赤塚城二の丸の当地に移転した。それに併せて青銅製の高さ13mの通称「東京大仏」.がつくられました。奈良・鎌倉の大仏とともに日本三大仏と称している。

「松月院」は、武蔵千葉氏が、赤塚城を築いた際に、地元にあった寺を千葉氏の菩提寺とし、松月院、として創建した。千葉自胤の墓があるものである。境内には、幕末の砲術家高島秋帆の碑がある。西洋式調練や実弾射撃訓練をこの下の徳丸が原(現在の高島平)で行ったとされる。なかなか見所に富んだツアーとなった。
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