まち歩き研究会、今回は護国寺から雑司ヶ谷墓地をっての池袋の富士塚へというコース。1月18日、寒い中ですが26名が豊島区の護国寺仁王門前に集合しました。
まずは護国寺
護国寺の見学。創建は天和元年2月(1681)、五代将軍徳川綱吉が、その生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山しています。真言宗の大本山でもあります。護国寺は、台地上の立地がよく、江戸の中心からも神田川などの自然により守られていることから大きな火災や地震さらには戦災によっても被害を受けていません。江戸初期の重要建築物がそのまま保存され、江戸の面影を今に伝え、現在も目にすることができるという東京でもまれに見る貴重な文化財です。
創建当時のままの観音堂(本堂)はこの日、御開帳でした。すべての観音像がみごとにならび法要が行われている中をゆっくり拝見できました。何本あるのか、太いケヤキの柱が重厚な印象を与えます。隣にある近江三井寺より移築された月光殿(重文)も堂々たる古典美の建物です。お墓も回りました。大隈重信や山県有朋は大きな霊廟になっています。ジョサイア・コンドルの墓も独特の様式です。
富士塚を見学
護国寺境内には富士塚「音羽富士」があるます。ここが富士塚巡りの1カ所目です。もともとは護国寺内の別の場所にあった富士塚(1817年ころの構築)のようですが、近年になって移動しているようです。鳥居から始まり、合目石、烏帽子岩、御胎内など富士塚のすべての要素が備わった堂々たる御山です。
雑司ヶ谷墓地へ
これも古い護国寺の惣門をくぐって富士見坂にでてから、すぐ隣にある都営霊園の雑司ヶ谷墓地に歩きます。この付近は江戸時代の御鳥見役の屋敷があった場所だそうで周囲も鬼子母神道など情緒のある古道になっています。墓地には多くの文化人が眠っています。この日は。ジョン万次郎、夏目漱石、竹久夢二、荻野吟子、泉鏡花、永井荷風などのお墓をまわります。女性が大いためか、思わぬ人気は泉鏡花の隣にあった大川橋三。埼玉の偉人・荻野吟子の墓には等身大の石像がありました。
長崎富士へ
南池袋公園で休んだ後、地下鉄で有楽町線の要町駅に向かい、そこから富士塚巡り 2カ所目の場所、豊島の浅間神社の富士塚(長崎富士)に。密集した民家の中に埋もれるようにある神社ですが、この富士塚は大きくしかも岩石の面積が多いです。こんな光景が大都会・池袋のすぐそばにあるのです。現在は南池袋ですが、昔は長崎町ですので「長崎富士」といいます。最大の特徴は江戸末期の文久2年(1863年)に造成され当時の様子がよく残っていることで、このことから国の重要有形民俗文化財に指定されています。
通常はかなり厳重な柵に囲まれていて人が立ち入ることができません。この日は豊島区役所文化財課を通じて保存会の方(本橋さん)に来ていただき、中に入り、希望者は山頂に登ることもできました。本橋さんのお話しではこの地には古くからの塚(古墳?)があったそうで、銅鏡が出たことが契機になって地元の富士講の人たちがこのような見事な富士塚を建設したということです。使われている富士山の溶岩(いわゆる黒ボク)は相当の量ですから、資金や時間もかなりかかったものと思われます。当時の人たの信仰心の強さと心の豊かさがわかります。