今回のまち歩き研究会は武蔵陵墓地と甲州街道歩きです。11月16日午前10時、中央線・高尾駅に22名が集合。駅前すぐに甲州街道が通っています。ここから東へ、八王子追分までの間はイチョウの並木が続き、この時期は黄葉の盛りです。今年は少し遅いようですが、それでも見事な景観が見られました。

一行は近道を通ってまずは武蔵陵墓地へ。昭和の初めにつくられた天皇家の墓地で現在は大正天皇・皇后と昭和天皇・皇后の4陵が造営されています。意外に参拝の機会がないもので、今回が初めてという人も多かったようです。森林が続く丘陵の広大な一郭にありますから墓地内は静寂そのもののはずですが、参道整備の騒音がやや気になりました。参道は行きも帰りもスギの並木ですが、樹種は異なるようです。われわれの知っている昭和天皇の御陵「武蔵野陵」は平成2年(1990年)に香淳皇后の御陵「武蔵野東陵」は平成13年(2001年)にそれぞれ造られたものです。4つの御陵は上円下方墳ですが微妙に異なるデザインになっています。正面に鳥居があり、神式に祀られていることがわかります。

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御陵から甲州街道までが参道になっていてここにも手入れの行き届いた端正なケヤキ並木が続き、これも紅葉しています。途中にある南稜公園には翌日から始まる「イチョウ祭り」の準備が進んでいましたが、ここで昼食休憩にしました。

午後、参道に架かる石造りの豪華な橋の上で記念撮影、甲州街道歩きを開始しました。高尾駅付近は八王子宿から次の小原宿まで中間にあたりますのであまり古い商店や民家が見当たらない地域です。『甲州古道』という観光地図には歩いてすぐのところに「新地一里塚」の跡があるように記載されていますが見当たりません。実は下見の時に隣にある八王子市役所の事務所で訪ねたのでですが、まったくわかりませんでした。すぐ横にはオオツクバネガシという市指定の天然記念物の大木が塚の上に堂々とそびえています。ここに一里塚があったことは確かなようですから、掲示板を立てるか樹木の説明版でひとこと触れるかくらいはしてほしいものです。

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やがて延々と続く並木道から横に入る小道があり、今回の道中で唯一、旧道が残っている場所です。旧道が再び現街道と交わるあたりに大正期の道路改修時の道標がありました。高尾山への旅行者が多かったようです。

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やがて「千人町」の標識が目立つようになります。千人町は江戸期の千人同心ゆかりの地名で、この付近から八王子宿になります。西八王子駅前を過ぎたあたりが八王子追分の交差点です。ここには江戸期からの道標があります。「甲州道中」と「陣馬街道(あんげ道)」とを示しているようですが、空襲で一部が破損しています。八王子の近代の遺産でもあるのです。

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陣馬街道に曲がったところに「千人同心の碑」があります。八王子千人同心は、江戸幕府の職制のひとつで、この八王子の地に配置された郷士身分の幕臣集団のことです。その任務は甲州口(武蔵・甲斐国境)の警備と治安維持でした。彼らが住んでいたのがこの付近というわけです。碑の前にある説明版の裏表にはその歴史がとても詳しく書かれています。

ここで予定は終了しましたが、7~8人ほどがそのまま甲州街道を登り、八王子駅まで歩きました。(筑井 記)
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