待っていたクライマックスは、保渡田古墳群八幡塚古墳での『榛名の神(イカホの神)への祈り』シーンでした。
・いつもの場所から定刻8時にスタート、参加者33名が期待と不安?を抱えながら高崎に向かう。
時期・曜日そして天候。高速道路は混んで当たり前の環境。車中では本日の見学先の古墳・祭りの説明を行う。
最初の高坂SAで休憩、その後、SAからはなかなか出発できない、本線3キロ先で事故発生で約50分位ロスする。
最初の訪問先、観音塚古墳に11時頃到着。見学時間が余りなく資料館並びに巨大石室を急いで見学する。
観音塚古墳は復元全長105m(現状95m)、6世紀末ごろ築造で、群馬県域では最後の前方後円墳と考えられている。この古墳の注目は、石室を構築する自然石の巨大さで、最大重量55トンにも達し、見るものを圧倒する。
「群馬の石舞台」と称されている。構造的にも奈良県の石舞台と類似している。
・1945年(昭和20年)3月、後円部に共用の防空壕を掘っていた際に発見され、盗掘もされず豪奢な副葬品が出土された。30種類300点にのぼり、古墳時代当時の文化・技術の最高水準を示していた。(古墳は1948年国指定、出土品は1961年に国重要文化財指定)。一見の価値あり。時間が不足し、消化不良で申し訳ない。
ここで、記念写真(参加者の後ろが石室入り口です)
・12時頃、かみつけの里博物館に到着、急いで昼食を摂り、資料館見学並びに二子山古墳の頂上へコスモス畑や周辺の山並みの眺望見学(榛名山・赤城山・妙義山の上毛三山)と慌ただしい。
13時から二山古墳の後円墳部で『古墳祭りの再現劇「王の儀式」が始まる。今から約1500年前の古墳時代5世紀後半、榛名山東南麓一帯は有力な王によって開発され、治められていた。王の館『三ツ寺Ⅰ遺跡』の発掘調査では、当時の王の力を示す建物や品物が多く発見。また、王が埋葬された墓「保渡田八幡古墳」には50数もの人物や動物の埴輪が何らかのシーンを表した状態で並べられていた。これらの豊富な考古資料を読み解いた研究成果をベースに基もとに創作されています。
・王の館でのマツリ(祭儀をイメージした演劇)の始まりです。
登場人物50数名が二子山古墳頂部から舞台へ入場。その後、水取の儀・農耕の儀・服属の儀・献上の儀が執り行われる。登場人物は王を始め(三ツ寺Ⅰ遺跡に君臨する 車持君)・ヤマトの使い・渡来人・巫女・武人・狩人・力士・盾持ち人など。出土の埴輪をモデルが多数。
・登場人物の衣装や道具、舞台等についても、実物に基づき復元さている。なかなか見られる再現劇ではない。
14時からは八幡塚古墳の前方部に並び古墳の上で①榛名の神への祈り ②祖霊の祈り ③民への祝事・国褒めの儀を行う。(祖霊の山・榛名山を崇め、鎮める儀礼と、古墳に宿る祖霊に感謝し、クニ(郷土)に讃える「国褒め」の儀礼で終了です。 下記の写真は人物・動物わにわを並べてある区画です。
・祭り終了後は、八幡塚古墳の舟形石棺見学、また、噴頂部からの山並み等眺望を楽しむ。
最後に保渡田古墳群薬師塚古墳を見学する。薬師塚は築造中に、6世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火した影響を受ける。依って、規模は縮小か? 現在は西光寺境内の一部となった豪族の墓。西光寺は元々、別の場所にあったが、出土品の管理をするために古墳の一部に移設した。出土品の鏡・装身具の各種玉類・馬具類は一部ですが博物館内の展示ケース内で見られます。13種類、393点の副葬品があった。
後円部にはコンクリートで覆われた舟形石棺を身近で観察できる。
・予定を終了し、3時30分に土屋文明記念文学館の駐車場を出発、関越は事故渋滞が発生しており、北関東道路から東北道岩槻を経て、大宮西口に無事6時30分に到着する。
百聞は一見に如かずといいます。 驚きあり・感動もあった一日 お疲れ様でした。ご参加有難うございました。