今回(2018年1月19日)は、平林寺の周辺にある雑木林を歩きながら、史跡でもある野火止用水の歴史と景観を楽しもうという企画。JR武蔵野線新座駅改札出 に10時集合。参加は飛び入りを含めて30名。この季節にしてはなんとか暖かい日差しが感じされる中、駅前から始まる親水公園を経てふるさと新座館へ。ここで説明とスケジュールの紹介をしましたが、なんと昼食に予定していたうどん屋さんが改装で休業と判明、急遽、最後にまたこの場所に戻っての自由行動ということになりました。

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野火止用水は、江戸開府50年の後の承応2年(1653)に幕府の行った多摩川から水を引く玉川上水の開削につづき、功績のあった松平信綱(老中・川越藩初代藩主)が領内の野火止に玉川上水の分水を許され開削された用水です。その経緯をみると当初から武蔵野の新田開発が予定されていたことは確かと思われます。信綱の菩提寺の平林寺にも水はひかれます。なお、玉川上水の実現については有力大名の反対意見もあったため、当時4代将軍家綱の輔佐役(大政参与)であった保科正之の功績も大きいのですが、あまり取り上げられることがなく、地元・新座市のPR文書にも出ていません。

さて、この野火止用水ですが、昭和20年代頃から汚染が始まり、特に昭和38年(1963)頃からの周辺の宅地化の進行や関東地方・東京の慢性的な水不足もあり、野火止用水への分水は中止されました。その後、きれいとはいえない生活排水などが流れていましたが、昭和50年代末に復活の試みが行われ、現在は国道254号(川越街道)までの流れが復活しています。ただし、再生水を使い、元の様な清流=用水ではありません。国道254号線から先も暗渠となった流路跡をなんとか辿ることができます。

今回はこの流れが再現された平林寺脇の用水を国道254号線から関越自動車道まで、分水の平林寺掘も含めて歩きました。落葉樹を中心とする真冬の雑木林はほとんどの木が葉を落とし、乾いた落ち葉が音を立てて足元に舞う褐色の世界ですが、周囲の見通しはよく、広い空の下、巨大な鉄塔と点在する農家や畑地に武蔵野の景観が感じられました。

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全員が「入山」した平林寺では静かな雰囲気の中で公開されている総門、山門など由緒ある建築物や石塔に触れることができました。午後1時前、平林寺前に「睡足軒の森」でとりあえずの解散。

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この後、参加者の半分以上の人がさらに暗渠となった野火止用水の跡をたどる散策に参加。東武東上線志木駅まで40分ほど歩きました。さらにマニアックに新河岸川まで野火止用水跡を追究する会員も現れ、興味尽きないまち歩きになりました。
(NT記)
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