平成28年度、東京都墨田区東向島の『白鬚神社例大祭』は、本社神輿十三番の渡御する「ほんまつり」が6月3日~5日に行われ、本社大神輿の氏子内巡行は三年に一度実施されます。今年の1月8日の隅田川七福神 (寿老人)めぐりで立寄った神社です。
墨東地域で先陣を切って行われる夏祭りで”も向島の夏はここから始まる”と言われています。最終日の6日は本社神輿渡御で、図子(ずし)と呼ばれる11の氏子地区内を巡行します。(※ 図子は古くから受け継がれている白鬚神社の祭礼単位で、本来、集団を指す古い言葉)
何処でお祭りがおこなわれているの、と、言うほど静かな雰囲気である。
神社は人気もまばら、神楽殿ではお囃子が奏でていた程度の風景であった。神輿渡御周辺には、見物客はいない(少しはいるが)、地域と氏子がノンビリと祭りを楽しんでいた。 我々、子供の頃、味わった素朴な祭りを感じる。静かな祭り風景で、見せるものでなく地域の安寧を祈り、古くからの格式を守って斎行されている。
祭礼の呼び物の一つ「あおり獅子」の巡行を楽しみにしていたが、今年は実施されず残念。金色に輝く大きな雌雄一対の獅子頭で、江戸時代末期に作られ、ケヤキ材を彫刻し、布を張って漆でかため金箔を擦した立派な獅子、1頭8貫目の重さがある。獅子頭の後には5反もの木綿の帆布で作った幕がついており、これをアオリ(煽り)と呼ぶが、その中に5人が入り、獅子頭は3人の氏子が担いで巡行する。参考に下記の写真は雌雄の獅子頭です。
続いて、国指定名勝・史跡の『向島百花園』の門をくぐる。江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)が交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草木鑑賞を中心とした花園として開園。(四季百花の乱れ咲く園)
この地は多賀屋敷と言われたところ、寺島・請地など四か村を領した多賀藤藤十郎屋敷にある。710石の旗本、近江多賀の出で早く家康に仕えた。その後は、百花園自身の盛衰が幾多あったが、昭和14から東京都が管理して有料となる。昭和50年に文化財保護法により国の「名所及び史跡」の指定を受ける。花の咲く草木等を鑑賞する。(ザクロ・クロロウバイ・ハギツリー)
天候も良くなり、時間も余裕あり、葛飾区堀切菖蒲園へ向かう。堀切の花菖蒲は江戸名所の一つとして古くから知られており、その景観は「安藤広重」や「歌川豊国」らの錦絵の題材にもなりました。文化年間(1804~1817)に当時の農民、伊左衛門によって栽培されたのが始まり、現在、花菖蒲の種類は200種6000株です。
数多くの江戸菖蒲は所せましと、艶やかに咲いていました。花は最盛期、日曜日、人も花の数に負けないぐらい、琴の演奏を聴きながら素晴らしい鑑賞ができました。
帰りはあじさい街道を通り、葛飾七福人に出会い京成堀切菖蒲園駅(4名)に向かう。参加者6名(前日、キャンセル2名) お疲れ様でした。